時限爆弾。

意味をもつ言葉が苦手になってきました

どれくらい大切か、またどれくらい役に立つかという程度。

 

 

自分の価値は誰が決めると思いますか。私は、他者だと思っています。私が今こうやって生きているのは、きっとまだ世界にとって私は価値があるから。だから生きてます。ただ、価値があるかどうかは他者が決めると思っているけど、価値を作り出すのは自分自身だと思っています。私は作り出しています。価値を、生きていて良いと思えるほどの価値を。まず、優しくします。全人類に、優しさを持って接します。口は悪いし、悪口を言うことだってあるけれど、関わる人間を不幸にしたりしないし、きっと少しは良い気分にさせてあげているはず。優しさは無責任でいい。楽なのに、手っ取り早く価値をもらえるからいい。さらに楽なのが、許容。許すことです。優しさは楽だけどプラスアルファで、能動的なものだけれど、許容は動かなくていい。ただそこにいて、腕を広げていればいい。笑っていればいい。なんて簡単なことだろうと思う。でもこれは、優しさより喜ばれる。優しさに価値があることをみんな知っているから、きっとわざとやっているのではないかと疑ってしまうけど、許容に関してはまだバレていないから。なぜか非常に評価される。受け入れるだけで、ありのままを肯定するだけで、価値をもらえる。簡単な世の中だと思う。怒らなきゃいい、褒めればいい、受け入れればいい。こんなに簡単なことで生きていていいというハンコをもらえる。ありがたいと思っている。

でも、たまにどうしても疲れる。負けず嫌いだから、抱えたものをおろしたりしないし、拒絶することはないけど、腕は痺れる。物理的に痺れる。感情が疲れる。笑っている頬がつる。真顔になりたい。両手を下ろしたい。軽くありたい。ああ、欲張れば抱えてほしい、私を受け入れてくれ、許容されたい、悪いことして許されたい、それでもいいって言ってほしい、笑ってくれ、でもそんなことを求めたら、私自身が抱えることをやめたら生きている価値を剥奪される、せっかくもらったのに、この価値を手放したくない、のうのうと生きていることに自信を持っていたい、余裕綽々でピースするためにはこの価値が必要なんだ、この価値があるかぎり私は困ることがないから、ああ、どうしよう。

生きているだけでいいんだよ、あなたはそこにいるだけでいい。愛しているよ、何をしても。大丈夫、大丈夫だよ。これは、言いたい言葉なのか聞きたい言葉なのか、もはや境界線はぐちゃぐちゃで、よくわかっていない。ありがとうという言葉に疲れた。そんなのもういいや。ありがとうなんていらない。助かるって言葉もいらない。助けたくない。助けてよ。なんでありがとうっていうくせに、返してくれないの。人は自分がやってほしくないことは人にはやらない、だから、やってほしいことを人にやるんだよ。本当にこれが生来のものだと思ってる?聖母なんて、存在しないんだよ。作り物だよ。生まれつき、こうだと思わないでよ。演技がうますぎるんだ、私は。それすら見破ってよ。なんて、とんだわがまま。自分で勝手に仮面をつけているくせに剥がしてくれよ、なんて仮面をつけてない人より厚かましい。厚顔無恥という言葉は、皮肉なのかもしれない。

愛があればさ。こんなのどうってことないんだ。でも、案外私は冷たい人間で、関係性なんて損得で、利害じゃんって、ちょっと思っちゃってる。だからこそ自分の価値を、”利用”価値だと思っているし、相手の価値だって”利用”価値なんだよ。いるだけで尊いのは、私を利用しない人だけ。だから推しって尊い。別に私が生きようが死のうが関係なく生きてくれてる。私の価値を利用しない。私に価値があろうがなかろうが、生きていてくれる。時折、お金を投げるけど、それは私の自由でしかない。こちらを無条件に、理不尽に、使ったりしない。癒される。価値がなくたっていいよ、って遠回しに言ってくれる。

きっと私だって、価値を利用している。でもきっと返してるよ。そこには自信があるよ。私は奪ってばっかにはしないはず。きっとね。返してなかったら教えてよ。でもそれって、あまりに貸し借り。お金みたい。見えないものを、いわゆる慈愛を、まるで物みたいに扱っている。生きづらそうね、あなた。生きづらいなあ。

なんの仮面もつけなかったら、なんと無様で、汚くて、愚かな人間が出てきてしまう。聖母の仮面を剥がしたら、普通の人間どころか、悪魔が出てきてしまうから。それを隠していたい気持ちは本当だよ。でも、嘘でもいいから、その悪魔を笑ってくれる人がいれば。気が小さくて、怒りっぽくて、わがままな悪魔を笑ってくれれば、それだけで良いんだけどな。それだけで、腕の痺れは取れるんだけどな。また、頑張れるんだけどな。仮面をつけて、持ち上げられるんだけどな。それすら許されないなんて、なんてひどい仕打ちだろう。やっぱりバレたのかな、人間を損得勘定でしか見れないようなクズだってことが。

 

 

 

ああ、疲れた。疲れたなあ。もう全部やめたいなあ。楽しそうで良いなあ、あの人は。日々、私の優しさに包まれて、他にも仲良い人がいて。楽しいだろうなあ、それはそれは。癒されるだろうなあ。私がこんなに辛くて、悲しくて、ダウンしてる時に、あなたは何をしてくれるんだろう。手を伸ばさないとダメかい。ダメなんだろうな。私はいつも、抱き上げてるけどね。あなたは、できないか。良いよ、できなくて。いいんだよ、それでもかわいいね、愛おしいね。大丈夫だよ。大丈夫。

 

 

なんて未来は丸わかりでさ。だからもう、迷惑なんてかける前に、関わるのを休憩するんだよね。悲しいけど、迷惑をかけないように、ひとりでいる。でも、そうしたら、私を利用できない人たちは、離れていくんだ。違う利用できる人を見つけて、どっか行く。なんて世知辛い。やばいね。全然私自身を受け入れてくれてない。当然か。なぜなら世の中は、利害関係だから。

 

 

ダメな人、何にもできないじゃん、悪い人、馬鹿、面白くない。そう言って、一緒にいてくれるなら、流石に、それ以上は望まないよ。私を、普通でしょうもない人間だと笑って、何もできない、何もしない私でも、そばにいてくれるなら、もうそれだけでいいや。それが欲しいな。