時限爆弾。

意味をもつ言葉が苦手になってきました

画竜点睛

 

 

最後に書いた記事が、2年前で笑ってしまった。いつも新しく書こうとしても、自分の過去の記事を読んで満足してしまう。いつからだろう、アウトプットをさぼるようになってしまったのは。ここ、もしくは、一個前のブログに来るといつも思う、自分の熱量に笑っちゃうんだ。元気だね、きみとコメントしてみたくなる。感情があふれていていいな。たくさん考えて、たくさん文字にして、たくさん苦しんでいていい。今の私にはとてもじゃないけどできないな。過去の自分がかわいらしくて、誇らしいのは良いことだね。特に、推しについて書いてある記事は、今の私では思いつかないような言葉ばかりでいいな。自分について、たくさん悩んでいるのもいい。アイデンティティの模索段階ってやつなのかな、わかりやすくていいね。

 

今、約4万字にわたる私の思考をできるだけ理論的にまとめたものを完成させた後だから、なんていうんだろう。バーンアウトってやつ。わりと満足できるものができて、嬉しいんだよね。納得してるし、結構出来はいいんじゃないかと思ってる。研究なんて、ただのマスターベーションなんでね。自分がよければ、すべてオッケーです。協力してくれた方、本当にありがとう。約4ヵ月、みなさんのことだけ考えていました。発言内容を記憶してしまうくらい。おかげで、良いものが浮かんできました。

 

画竜点睛ということで、このブログを竜の目としようかなと思っております。研究の内容をここで詳しく書けないけれど、結局私が書いたのは高校生くらいからずっと考えていたことだったよ。その総まとめみたいなことを書かせてもらった。まとめと言えるかは微妙だな。もっと考えていることはあったけど、データから読み取れることの限界があったから、ぎりぎりって感じだ。ここでは、データもソースも理論的な証拠なんて何一つ必要ないから、妄想の範囲の考えを書かせてもらおうかな。

 

結論から言おうとしたけど、面白くないからやめよう。

まずは率直に、やっぱり人は、ひとりで生きていけないんだなって思った。現実に存在してようと、非現実に存在してようと、ひとは誰かがいないと生きていけない。もっとかわいく言えば、すきなひとがいないと生きていけないんだ。何かを好きになる、という気持ちの尊さに気付かされた。好きになる力で、人は生きているんだね。大事にしていきたいなって思う。これは、自分の感想になるけど。誰かを好きでいられることで、私は生きているように思う。誰でもいいんだけど、ひとが好きだから生きてる。

自分の過去のブログもそうだけど、誰かを好きでいることに突き動かされるエネルギーの強さには脱帽する。残念だけど、若い頃の方が強いかな。なんて、たかが数年だけど、正直もうあそこまでの熱量は抱けない気がするよ。だからみんな妥協するんだね。でも妥協って悪いことじゃない。生きることを急かされるくらい、何かを、誰かを、愛した経験って、たぶん一生影響する。その余熱だけで、生きていていいかもって思える。幸せな経験をしたと思っている。余熱の先にあるのが妥協で、その妥協は悪いことじゃないと思える。年を重ねるごとに、生きることが穏やかになっていく気がしている。なんか物足りないなって思う日もあるけど、それくらいで良いのかもしれない。ときおり、猛烈にあの日の情熱が恋しくなって、もう抱けない現実に打ちひしがれるかもしれないけど、そんな日にさめざめと涙を流して、明日を迎えるくらいがちょうどいいのかもしれない。私も丸くなったものです。まあちょっと背伸びしてるかも。まだ、刺激がほしいかも。こんな欲張りな自分も悪くないです。

私は最近、自分はひとりだけを好きになることができないかもしれないって気付いた。まだわかんないけど、ちょっと人間が好きすぎる。すきなひとが多すぎる。全員を特別だと思ってる。でも、ひとりを選べないと、相手からは特別だと思ってもらえないから、そこだけ寂しいのかもしれないけど、それはそれでいいのかもしれないなって思ってる。この年になって、まだ子どもじみたことをして、キャッキャしてる自分がいて、恥ずかしさもちゃんとあって、でもなんか、そんな人生もいいかなって思ってる。私、約5年以上黒歴史と呼ばれるであろうものに時間と熱を費やしたけど、何一つ後悔してない。きっとこんな感じで、人生を積み重ねていくんだと思う。知らないけど。

 

まあ、いつもの癖で、すっかり何を書きたかったか忘れてしまったし、そう考えたら結論から書いた方がよかったに決まってるんだけど。なんでもいいかなあって思う。これは諦めにみえるのかな。私はいろいろ諦めてるけど、すべてがポジティブだと思うんだよな。自分がそう思い込みたいだけ?セルフモニタリングもここまできたら病的だね。

 

すきなひとって大事だよねって話だったね。結論はそれかもしれない。誰かを好きになって、その気持ちを抱えて生きてくって大事かも。相手は誰でもいいし、関係性なんてなんでもいい。好きだなって気持ちは、大事に生きたいと思う。生きる理由を好きなひとに置いてはいけないかもしれないけど、生きていくために、人生の隣にいてほしいなって思う。存在するだけでいい。結ばれる、結ばれないを抜きにして、好きだな、大事だなって思うひとが、健やかに生きていてほしいと思う。この祈りに近い感情は、なんだろうね。その人が健やかに生きて、なぜ私は幸せなんだろう。願掛けに近いのかな。蜘蛛の糸よりも、藁よりも、太い感じ。なんだろう、ハーネスみたいな。支えなんだよね、すきなひとの幸せって。私が、より幸せに生きるために必要なの。もはや、好きなひとは贅沢品だったりするのかな。自分に余裕がなきゃ、手に入らない。だとしたら、すきなひとがたくさんいる私は、裕福なのかもしれない。いいことだね、やっぱり。

 

きっとこれを読んでくれるきみたちも、すきなもの、ひとで溢れているんだろうな。良いことだね。人より考えること多くて、だから疲れちゃうけど、そのぶんたくさん人を愛して、ひとよりちょっと贅沢に生きようね。美味しいところもたくさんあるって、改めて、自分で気付いてあげようね。日々、大変な毎日を送っているだろうきみたちが、ほっと一息をついて、自分の幸せに気付いてもらえたらいいな。

 

そんだけです。また書きにきます。